I'm sorry. In Japanese only.


インディー・サーファーズパラダイス観戦記 by kevin



長い間、F1のファンだった私。まあ、F1ファンとしては長い経歴を持っているでしょう。流石に富士スピードウェイで行われた1976年と1977年のグランブリこそ見ていないものの、鈴鹿で開催されるようになった1987年からは、毎年かかさず鈴鹿行き。予備予選、予選を含めて(金曜日や土曜日)、そのほとんどを実地で見ていますし、1994年のTIも観戦(セナの日本での最期のレース、1コーナーでニコラ・ラリーニと接触してリタイア)していますから、ちょっと語る資格があるというものでしょう。そんな私がインディーにとっていたスタンスは「面白そうだけど、ちょっとショー的要素が強すぎるかなあ。また、所詮、アメリカ人が考えているものだから。」といったものでした。でももちろんレースファンの1人として「いつかは現地で見てみたい。」と考えていました。

そんな私が1998年の第18戦サーファーズパラダイスを観戦、あっという間にインディーファンになってしまった顛末を観戦記として書いてみました。お楽しみいただければ幸いです。

なお、レースの内容については、このサイトをご覧になっている方々には既に熟知のことと考え、極力、書かないようにしました。また、レース観戦を取り巻く環境についての記述は鈴鹿でのF1と比較する形で書くようにしました。多分、多くの方が鈴鹿を経験しておられその方が皆さんの理解が深まると考えたからです。

1994年5月

私の勤める会社に「オーストラリア、ゴールドコーストにある会社と取引をしませんか。」という話が持ち込まれたのが1994年5月。私の脳裏によぎったのは「ふふふ、この話がうまくいけば出張と称して、ゴールドコーストに行ける。そして、ゴールドコーストではあのインディーが開催されている。ふふふ。」と、いうこと。採算とか将来性とかを度外視して、この話の成就に東奔西走したのは言うまでもない。で、やっとこさ提携関係が樹立したのが1995年3月。「こっ、これでゴールドコーストに毎年行くんじゃ。」と叫んだものの、私は1つの大きなミスを犯してしまっていた。それはサーファーズパラダイスでのインディー開催が、毎年、3月下旬か4月上旬に行われており、ちょうどその時期が私の仕事の最も盛り上がる時期であるということ。とても海外出張どころの騒ぎじゃない。えーん、えーん、。今年も行けないよう、と涙した3年間、おお、神は私に味方した、素晴らしいニュースが飛び込んできた。開催日変更だ。このサイトを読む読者諸兄姉には周知のことなれど敢えて説明するならば、F1メルボルンが3月に開催されるようになった関係から、インディー・サーファーズパラダイスが1998年から10月に開催されるようになったのだ。狂喜乱舞。早速「10月12日から10月20日、出張、ゴールドコースト」と自分で決定してしまったのでありました。


1998年10月12日(土曜日)

オーストラリア、クイーンズランド州、ブリスベン空港着。私の住む名古屋市から約8時間のフライトだ。日本からオーストラリアへのフライトはかなり整備されていて、日本中のどこからでも便利に行き来することができる。フライトの詳しい情報は「カンタス航空」www.qantas.com.auで入手することができる。ちなみにこのサイトの「EVENT」をクリックしていくとインディー・サーファーズパラダイスのインフォーメーションもある。

早速、申し込んでおいたレンタカーを借りる。レンタカーは日本から申し込んでおくことができるし、その予約確認書と国際免許、クレジットカードがあればハンズフリーで借りることができる。5分もかからない。オーストラリアに来る人にはレンタカーは絶対のお勧めだ。何たって運転が楽。そう、左側通行なんだよ、オーストラリアは。しかも道路は空いているしドライバーのマナーもいい、ついでに交通標識も整備されているから楽なものだ。少なくとも東京の大渋滞の中で生活している人にとっては天国のように運転できる。で、目指すゴールドコーストへ。

ここらで少し地理の勉強を。オーストラリアは(大雑把に言って)7つの州にわかれていて、ブリスベンはクイーンズランド州の州都。人口200万人の大都市。ゴールドコーストはブリスベンから約80キロ離れている人口30万人の観光都市。東側にはグレートバリアリーフにも繋がる美しい海岸線を持つ。サーファーズパラダイスはゴールドコースト市の繁華街の一部を差す、半径1キロ位の非常に狭い範囲。こんな小さな街の名前が世界中に有名になっているもの。

ブリスベン空港からゴールドコーストへは、前述のとおり約80キロも離れている。しかしながら空港を出たらすぐに高速道路に入ってしまうし(無料、橋通行のみ有料2ドル)、とっても近い感じがする。標識に従ってのんびり走っても約1時間でゴー ルドコーストに到着する。

ここのレースは一般公道を閉鎖して行うストリートサーキット。故に「コースにあたる部部が既に閉鎖されていて渋滞しているのでは。」と、考えたものの全くのスムーズに到着した。何と前の週の土曜日になっても閉鎖されていないのだ。だから走行がスムーズなのは当たり前。ちなみにコース部分の道路が閉鎖されたのはレース開催の前日の水曜日だったし、コース部分がまた一般道路に戻ったのは月曜日の朝8時だった。この辺の手際の良さは見習うものがある。

で、到着の土曜日から翌週の水曜日までは仕事づくし。よく働いたなあ。ともかくレース開催の4日間をフルに観戦しようとするのだから、少しくらい仕事が詰まっていても仕方のないこと。


1998年10月15日(木曜日)

さあ、いよいよレース開幕だ。この日の午前中は仕事が残ってしまったが、昼前には終了。いよいよインディーモードに体が入っていく。私の心に去来するのは、オーストラリアの暖かい日差しとインディーのことだけだ。他のことは何も考えないぞ。昼前には自分の席に着席。観戦体制もばっちりだ。

ここでチケット確保のことについて書いておこう。結論から言うと、F1鈴鹿よりもずっと楽に入手することができる。鈴鹿F1のチケットも、以前のようなプラチナペーパー時代から考えればずっと簡単に入手できるようになったが、ここのチケットはもっと楽。単純に言えば「ティケテック・オーストラリア」www.ticketek.com.auのホームページでオンライン購入が可能なのである。「ティケテック」とは、日本のチケットセゾンのようなもので、街のあちこちに売り場がある。料金は、

アンドレッティー・スタンド(メインスタンド) 211ドル

ブラバム・スタンド(シケイン、第1ターン) 348ドル

アンサー・スタンド(最終ターン) 181ドル

自由席 108ドル

1オーストラリアドル=75円で換算するとそんなに高い感じはしない。しかも前売りで購入すると3ドルだけ安くなるのがちょっとだけ嬉しい。なお、以上は4日間通しの料金。各日のみ、週末のみ、日曜日のみ、と細かく料金が定められているから

「ちょっとだけ観戦」の人にも好都合。

私が購入したのは、ブラバムスタンドの内、第1ターン、ANAホテルのターンのところ。過去のレースを見ていても「何か」が起きるのはここに違いないと思ったのがここを選択した理由の1つ。本当はもう2つ理由があるのだが、それは後述。

席に着いてみて驚いた。席が大きいのだ。なるほど巨体のオーストラリア人が座ることのできる座席は、と考えれば当たり前のことかも知れないが、鈴鹿の狭い席に慣れてしまっている身には嬉しい誤算であった。 ちなみに、私は、8月に出張(この時は本当に仕事で来ていた、念のため)でここに来た時にチケットを購入してあった。どこで購入すればいいのかわからなかったので知り合いのオーストラリア人に聞いたら、「インディーのチケット?そこら中で売ってるよ。」と、軽く言われてしまったので、「そんなこと言ったってわからないものはわからないじゃないか。」と、抗議、「そんなら連れてってあげるよ。」と、彼の事務所から50メートルくらいの件のティケテックに連れていかれたという次第。

「すみません、インディーのチケットが欲しいんですけど。」と、おずおずと下手な英語で言うと、「インディーね、面白いわよ。」と、売り場のおばさんに言われた。そこで黙ってればいいものを、「そんなこと知ってるよ。だからわざわざ日本から見に来るんだろう。」と、言ってしまった。おばさんはじろじろと私の顔を見て、「こいつ、わざわざ日本から来るんだって。」って、表情を浮かべている。とかしている内に、おばさんはコンピューターの画面にインディーのコース図を出す。

「で、どこで見たいの。えっ、ANAホテルのターンのところね。」と、言いながら操作すると、そのスタンドの全景図が表示されて、

「この+印は売れちゃっているからね。」と、示してくれる。

表を見ると全然売れていないじゃないか。右後方、つまり次のターンを見渡せる席の最後列7枚だけが売れている。もちろん私が欲しいのもその場所だったのが、結局、最後列の右から8番目と9番目の席を入手することができた。代金決済はクレジットカードでOK。ものの5分とかからない。ともかく席を自分で選んで買うことができることに感激。鈴鹿F1の場合、シケインとか2コーナーとか場所の指定はできるものの、前の方か後ろの方かは、強力なコネクションに頼るか神様に祈るしか方法がない。私の場合、1997年はシケインスタンドを選択したのだが最前列で困ってしまった。迫力はあるもののその場しかよく見えない。1998年は神に祈らずに強力なコネクションの方に賭けたら、後ろから5列目が入手できた。このあたりのシステムを考え直してくれるといいと思う。ともかくインディー・サーファーズパラダイスの場合は、開催の2ヵ月前でもその程度の前売り状況だった。


木曜日はインディーの練習走行はなし。ちなみに、残念ながらここではインディーライツが開催されないので、現在、日本人ドライバーは皆無。ちょっと残念。しかしながら、流石はエンターテイメント性に富んだインディーのこと。観客を飽きさせるようなことはしない。HQホールデン、クリアメイルGTPカップ、ポルシェカップ、V8スーパーカー(ウェイン・カードナーやアラン・ジョーンズが出ている)の4レースが前座として開催されていて、それこそ30分間隔で練習走行やら予選がある。イベントが終って、ほっと一息つく間もなく次のイベントが始まってしまう。この辺はF1鈴鹿も見習って欲しいところだ。1998年11月1日の鈴鹿F1では、ウォームアップランが終了したのが9時、それからレーススタートが1時。その4時間の間に開催されたのがシビックレースだけとはちょっと寂しくないだろうか。

で、木曜日はそれら前座レースのプラクティスを観戦して終了。

,BR> 1998年10月17日(金曜日)午前

この日も快晴。結局レース期間中の4日間とも快晴の過ごしやすい天気だった。ゴールドコーストはもとより雨のふらない場所だが、こんなにいい天気が続くものなのか。この日は写真撮影のため、自分の席には行かずに自由席で観戦。一番遠くのゲートまで車で送ってもらってそこから歩きながら撮影に専念することにする。さあ、インディーの練習走行の開始だ。


最初に見たのが海岸線2つ目のシケイン出口のあたり。ダリオが、マイケルが、アレックスが、ジミーが、吹っ飛んでいく。いいねえ。

初めて聞いたインディーサウンドの印象は「図太い」という感じ。F1が10気筒、インディーが8気筒なのだが、それにしてもF1の「キーン」という感じとは異なる。燃料のせいなのだろうか。昔、聞いたフェラーリの12気筒の「キキキキキーン」とは対極にある太い音だった。(ちなみに私が個人的に一番好きだったのはランボルギーニ12気筒の音。「女を絞め殺すような音」と表現したら、「何回か絞め殺したことがあるの?」と聞かれた。)このインディーサウンドを敢えてF1で似た音でいうならメガトロンの音が一番近かったような気がする。


そこで撮った写真は別掲のとおり。シャッター速度が速すぎて躍動感が表現しきれていないのが下手くそだが、現場で見ている者にとってはなかなかの迫力だった。

インディー・サーファーズパラダイスの1つの特徴にしょっちゅうセッションストップになることがあげられる。ストリートコースで危険だからだろうか。練習走行でも予選でもよく止まる。それのストップの時間がこっちにとっても貴重であって、ちょっとトイレへ、ドリンクの補給、一服の時間となる。


で、ふと後ろを見るとビキニ姿の美女2人。その周りに人が群がっている。「何だ、何だ。」って感じでよく見ると、場の盛り上げのためにウロウロしているらしい。ついでに5ドルくらいのチップをあげると一緒に写真を撮ってくれる。(勝手に彼女等を写すのはもちろん無料。)隣で写真を撮っていた私と同年代の男が彼女等と何やら話をして、帰って来るなり手で涎を拭く仕種をする。「いいねえ、いい女だよね。」って感じ。この男の英語は方言がひどくてよく聞き取れなかったのだが、その場の雰囲気を勘案して補正すると以下のよう。「いいねえ。一度、お相手したい女だよね。」「そうだね。確かにいい女だ。で、豊かなバストの写真は上手く撮れたのかい。」「ばっちりさ。僕はマイク。ブリスベンから来たんだ。」「ナイストゥミートユー。僕はケヴィン。日本からさ。」(私はイングリッシュネームとしてKEVINと名乗っている。別に洗礼を受けた訳でも何でもない。ただ、あらゆるオーストラリア人が私の本名を正確に発音できないからだ。)「日本からかい。ナイスな国だよね。横浜からかい。」(何故か、日本というと横浜を思い出すオーストラリア人が多い。今や東京より有名なのか。)

「いや、名古屋からだよ。」

「名古屋?知らないなあ、本州にあるのかい?」(何故、こいつは本州なんて単語を知っているのか。)

「知らなくても仕方ないよ、小さな都市だから。でも豊田は知ってるだろう。あの車のトヨタだよ。あの本社があるところさ。で、鈴鹿だって知ってるだろう。そこから車で1時間の所さ。」(結局、外国では名古屋よりも豊田や鈴鹿の方が有名。)

「知ってるさ。もちろんだよ。今年も11月1日にF1があるだろう。と、言うことは、ケヴィン、君は鈴鹿に行くのかい。」

「当たり前じゃないか。もうチケットも入手したよ。今年はシケインだよ。」

「いいなあ、俺、F1を見たことないんだ。一度でいいから見たいなあ。」

「まあね、でも俺もインディーを見るのは今回が始めてなんだ。」

ここで、セッション再開。爆音のために会話の継続が不可能となる。住所くらい聞いておいて写真でも送ってあげればよかった、と後悔したものの仕方がない。


次に見たのは、海岸線2つ目のシケイン中央。右に左にとステアリングを切るところ。テレビで見ていると何気なく通り過ぎているように見えるが、実際は左右Gとの戦い。暴れるマシンをてなづけるのに必死。ドライバーが歯を食いしばっている姿が見えるようだった。

最期は、海岸線1つ目シケインの後のストレート部分。3速、4速とシフトアップしていくところ。どうということもないところだが、真っ直ぐに加速していくストレートが短いこのコースでは、数少ない加速力が試されるところ。私の見た限り、ホンダ勢にはかなりのアドバンテージがあるようで、他のエンジンよりもいい感じ。午前中のセッションはここで終了。コンドミニアムに帰って昼食とすることにした。


この辺で、ゴールドコーストにおけるアコモデーション(宿泊施設)の状況について語っておきたい。まず、サーファーズパラダイスのコースは街の中心部にあるので、宿泊場所に困ることはない。100室、200室のキャパシティーを持つホテルやコンドミニアムが無数にあり、例えインディーの期間であっても予約に困ることはない。私の場合、定宿にしている「サーファーズセンチュリー」というコンドミニアムに宿泊した。ここはコースの南側にあってゲートから約1キロ。歩いても10分くらいのところにある。そのゲートはもちろん南ゲート。北ゲートからだと歩いて1時間くらいかかってしまう。読者諸兄妹には既にお気づきのとおり、私がANAホテル横のシートを買った理由がそこにある。そう、宿泊地から近いからだ。ここサーファーズパラダイスで観戦しようと思ったら、必ずそのことを考えなければならない。(ちなみにこのシートを買ったもう1つの理由は、屋根があるということ。同行した奥さんが「インディーを見るのはいいけど日焼けするのは嫌よ。」など言い出すものだから。)「チケットが先かアコモデーションが先か。」は、別にして必ずリンクして考える必要がある。ついでに言えば、コース内のアコモデーションは避けた方がいいと思う。確かに近いので(バルコニーからも観戦できる)便利至極だが、車の出し入れができないことが決定的だ。食料の買い出しにショッピングセンターに行くにもカジノに行くにも車がないことは不便この上ないので、コース外のコンドミニアムを探すことを薦める。ちなみにコース内コンドミニアムに宿泊の場合は「アコモデーションパス」チケットを購入の要がある。価格は165ドルだから一般の自由席よりも割高(指定席の場合は指定席料金プラス約70ドル)、この点からもお勧めしない。


次に「ホテル」と「コンドミニアム」の差異について述べておこう。結論から言ってコンドミニアムタイプをお勧めする。ルームサービスがなかったり英語しか通じなかったり、との若干の不便はあるが、部屋は広いし価格は安い。冷蔵庫や風呂などの設備は当然のこと、プール、サウナなどの施設も整っているから通常の使用に不便を感じることはない。ちなみにオーストラリアでは「コンドミニアム」という名称は一般的ではなく「ホリデーアパートメント」という。私が「昨日のコンドミニアムはね。」と言ったら「ケヴィン、昼間っからコンドームの話は止めろよ。」と言われてしまったくらい。 価格についてはコンドミニアムにもいろいろなランクがあって一概にどうとは言えないが、普通のホテルより廉価であるのは保証できる。私の定宿は(普段から使っているのでディスカウントされているが)、2ベッドルームで1泊65ドルだった。日本円で約5,000円。ダブルベッド1、シングルベッド2、ソファベッド2、合計で6人が楽々生活できるスペースに対する代価としては極端に安いと言える。 また、これらのコンドミニアムを日本から予約することも容易だ。「オーストラリアにようこそ」http://www.australia-goldcoast.com.au/jp/とか「アコモネット」www.accommonet.com.auにはいろいろなコンドミニアムの情報が掲載されているし他の方法で検索しても簡単に見つかる。(但し、価格についてはこれらの取り扱い業者を通すよりもダイレクトに予約した方が廉価である。)


試してみれば簡単に理解してもらえるところだが、ここサーファーズパラダイスでの宿舎を探すことは極めて容易だ。鈴鹿F1とは比較にすらならない。F1当日には、鈴鹿市内はもちろんのこと、四日市、津、そして名古屋まで満室になってしまう状況に比べて、何しろコースまで歩いて行くことのできる範囲で見つけることができるのだから。


コンドミニアムでの昼食は奥さんの手作り。これも厨房設備が整っているコンドミニアムならではのこと。昼食の出来不出来についての論評はここでは避けるとして、昼食後の一時をプールサイドで過ごす。ここゴールドコーストではプールは何よりも大切なもののようで、ほとんどどこのホテルやコンドミニアムでも、大きさの大小はあれ、プールが設置されている。だから特別にリッチなアコモデーションでなくともこのような午後の一時を過ごすことができる。写真撮影の疲れからか1時間ほどをうとうとして過ごし、さて、午後の部の開始だ。


1998年10月16日(金曜日)昼

日焼けしたくない奥さんの希望を入れて屋根付き指定席で観戦する。わかっている人にはわかっているが、私の席では、マシンは左の方から右の方に走って行き、直角ターンを左に曲がって第2ターンへの短い直線を走り抜く。その各々のマシンの挙動、ドライバーの考え方が手にとるように理解できる場所だ。残念ながら、左からの直線部分ではネットが邪魔になって良い写真が撮れないが、ターンの部分は絶好のシャッターチャンスとなる。基本的にマシンの後半部分しか撮ることができないが、その迫力はなかなかのものだ。


練習走行1時間を見終わっての奥さんの感想。

「私が速いと思ったのは、12番(ジミー・バッサー、速くて当然)と5番(ジル・ド・フェラン、渋いぜ)と40番(エイドリアン・フェネナンデス、売り出し中)ね。」

「1番(アレックス・ザナルディー、チャンピオンだぜ)と27番(ダリオ・フランキッティー、大好き)は、特別の速さは感じないけど、スムーズだからもしかしたら一番速いのかも知れない。」

「まっ黒のマシンのヘルメットが銀色の方(マイケル・アンドレッティー、ご存知)は、ちょっと乱暴なんじゃない。迫力はあるけどタイムには繋がっていない感じ。」

「KOOLと書いてあるマシンのテカテカヘルメットの人(ポール・トレーシー)は、恐る恐るって感じね。」

「白赤のセナみたいなマシンの人たち(アル・アンサー・ジュニア、アンドレ・リベイロ)は2人とも駄目ね。ちっとも速くないわ。」

「あの黄色いマシン(ベルント・マイヤー)は別の車なの?1人だけ極端に遅いわ。」

特別の興味を持っていない奥さんだが、まあまあ正鵠を得た意見ではある。ここ数年間、F1に連れて歩いて、その他フォーミュラニッポンにも機会あるごとに連れ回していた成果があったというもの。私はちょっと嬉しい。


「ところで、あのANAホテルの入り口のところも観客席になっているけど、私たちのチケットはあそこでは見られないの。なんか迫力ありそうじゃない。」と、いう意見を取り入れて移動することとした。


そこは自由席だったのでチケットを見せると簡単に通してくれた。中にはビールや食べ物などを売っていて、テーブルや椅子も配置されていてなかなかリッチな感じ。みなテーブルについて食事などしながら観戦している。私はコースに最も近いところに椅子を持って移動、迫力の映像をフィルムに収めることに専念する。それがこの写真だ。なかなか、だと思う。500ミリの単体レンズを使用したもの。このアンドレ・リベイロは今回の写真集のベストだと自負している。


1998年10月16日(金曜日)夜

このインディーではサポートイベントが目白押しだと述べたが、その中でも白眉なのが金曜日の夜に行われるドラッグレース。最終ターンからフィニッシュ/スタートラインまでの区間を利用して行われる。この時は観戦券があれば自由にスタンドに入れるので自由席でも可。ドラッグレースというものをライブで見たことない私はどうやってこれを楽しむかの術を知らなかったが、なかなかエキサイティングで面白い。「こんなもんテクニックも何もいらないじゃん。」と、思っていたものの、なかなかどうして、あれだけのパワーがあるマシンとなるとクラッチミートに気を使わざるを得ない。ただ、真っ直ぐに発進するだけなのにミスする人が続出する。斜めにスタートを切る奴、乱暴にクラッチミートしてしまってホイールスピンするだけでその場に留まっている奴、逆に半クラッチを使い過ぎてクラッチがオーバーヒートしてしまう奴。その中できちんとスタートできた場合には、それこそロケットのように発進して行き、アッという間にフィニッシュラインに到達、パラシュートとともにブレーキングしていく姿は勇姿である。


1998年10月17日(土曜日)朝

昨日まで観戦に消極的であった奥さんではあるが、今日は朝から見たいとのこと。やっとインディーの素晴らしさに目覚めたかと思いきや、今度は歩きたくないと言う。「たった1キロのことだよ、鈴鹿ではあんなに歩くのに。」と説得するも「鈴鹿は鈴鹿、ここはサーファーズパラダイス。」と、効を奏さず、結局、車で行くことになった。ところがちゃんと駐車場があるではないか。適当にトロトロ走って行き、適当にところに駐車したのだが、ここの料金が1日8ドル。日本円で約600円だ。今どき街中での1時間の駐車料金にしかならない。鈴鹿では、今でこそ1日3,000円だが2年ほど前までは1日5,000円だったことを思い出すと、むちゃくちゃに安い感じがする。しかも、その駐車場からゲートまで50メートルと言えば、その駐車環境の良さに皆さんも驚かれるはず。恵まれている。それでもまだまだ私が甘かった。もっと近い駐車場があったのだ。サーファーズパラダイスの海岸線の無料駐車場は流石にインディー開催日は使用できないだろう、と思っていたにもかかわらずちゃんと使えるのだ。私が停めた駐車場から歩いてゲートに行く途中にも空いているスペースがあって、皆、平気で停めていく。「ちくしょう、8ドル損した。」と嘆いたものの後の祭り。ここの駐車場環境の凄さに思い知った次第だった。


予選結果はいまさらここに述べる必要もないだろう。我がダリオ・フランキッキィーがポールポジションを得て、第2位にアレックス・ザナルディーと続く。明日のレースがますます楽しみになってくる。


ところで、このレースの公式ガイドブックは6ドルで購入できる。約500円だから鈴鹿F1の2,000円から比べるとかなり安い。それなりの内容や厚さで、鈴鹿F1のゴージャスさにはかなわないもののなんたって安いから気楽にお土産として購入できる。しかもその辺の本屋さんやコンビニでも売っているのでお土産品としてはベストの1つ。私は5冊も購入してしまった。それと、B4版のでかい冊子のことを忘れてはならない。約60ページにわたるこれは、各選手の紹介からコース紹介、タイムスケジュールまで掲載されているので、ポケットに入れて歩くにはこっちの方が優れているくらいだ。(もちろん広告が主なのだがそれも情報源としては重要だ。)こちらの方はあちこちに置いてあり、しかも無料配布なのでこれこそチープなお土産として推薦できる。私の場合は、コンドミニアム玄関に置いてあるのをゴソッと持って行こうとしたら、そこのセキュリティーの人に「もっと持ってってくれ。全部持ってけ。なんなら倉庫にもっとあるぞ。」と、励まされて、つい50部も持って帰ってしまった。友人から好評を持って迎えられたのは言うまでもない。

その本の中の面白い記事の1つに「賭け」のコーナーがある。この国ではギャンブルが禁止されている訳ではなく堂々としたカジノもあるので、別段、驚くほどのこともないのかも知れないが、サッカー籤の実施にドタバタする国の住民としては、その大らかさが清々しく感じる。

主だったドライバーの賭率と紹介は、アレックス・ザナルディー、1:3、既にチャンプ決定、だけど彼は勝つのが好きだから。マイケル・アンドレッティー、1:6、なかなか美味しい選択。ダリオ・フランキッティー、1:6、今が旬のドライバー、賢い選択か。ジミーバッサー、1:6、ビッグチャンストニー・カナーン、1:16、掛率から考えてお買い得ロビー・ゴードン、1:100、お金の無駄ビンセンツォ・ソスプリ、1:1000、絶対にない。


結局のところ、どこで掛金を支払えばいいのかが判然としなくて参加することはできなかったが、実は、アレックス50ドル、ダリオ50ドル、ソスプリ1ドルを賭けようと思っていた。都合101ドル。結果は皆さんご存知のとおりだからリターンは150ドル、49ドルも儲かったはずだったが、ちょっと残念。


1998年10月18日(日曜日)朝

さて、いよいよ本番当日。朝からコースに出ていろいろなサポートレース決勝やインディーのウォームアップランを見学。雰囲気はいやがおうでも盛り上がってくる。観客もどんどん増えてきて、客席はほぼ満杯。いいぞ、こうこなくっちゃ。私が応援するダリオ・フランキッティーも調子がいいようだし、天気も快晴だし、何の文句もつけようがない

ここまで読んでいただけた読者の方には既にご理解いただいていると思うが、私はダリオのファン。何故かと言うと、別に繋がっている眉毛が好きな訳ではなく、DTMの頃からのファンなのだ。最期はITCの言う名称になった、あのドイツツーリングカー選手権。好きだったなあ、あのレースが。有名なところでは、ミケーレ・アルボレート、ニコラ・ラリーニ、ベルント・シュナイダー、ガブリエレ・タルキィーニ(以上、F1出身者)なんかが走っていた。もちろん、唯一、鈴鹿で行われた試合も見に行った。ITC消滅後、ドライバーがあちこちに転職、その転職組の1人がダリオなのである。だからF1でも実はヤン・マグヌッセンを応援していた。

1998年10月18日(日曜日)昼


さて、私の我が侭な奥さんは午前中は欠席。「私はプールにでも入ってのんびりしてるわ。」と言う。ついては「昼飯くらい一緒に食べよう。」と、いうことになってちょうど12時に待ち合わせることにする。サポートレースが計ったように12時3分前に終了して、無事、待ち合わせ場所へ。スタンドからゲートまでは50メートルもないからアッという間に着いてしまう。それでいつものイタリアンレストランへ行くことにした。何度も話しているようにコース自体が街中にあるものだから、ここにはレストランも一杯ある。それも出店や屋台ではなくて、きちんとしたレストランがあるのだ。当日の我々の昼食は、シーザースサラダwithスモークサーモンとスパゲッティーカルボナーラ。オーストラリア仕様の量たっぷりだから、これで充分。2人でコーヒーを飲んでこれで約20ドル。リーズナブルだ。味もしっかりしていてノー文句だ。しかも空いている。戸外、屋内合わせて20ほどあるテーブルの内、塞がっているのが半数。これがゲートから50メートルのところにあるレストランなのだ。この現実は凄い。鈴鹿のやきそばもカレーライスも決して嫌いではないがこれには叶わない。料金的にも意外に高い鈴鹿と比較するならば割安感は募るばかり。ちなみに飲み物の価格についてだが、普通の炭酸飲料はコース内売店で2ドル(150円)で売っていた。鈴鹿の自動販売機では160円だったからこれはほぼ同じと考えることができる。但し、一旦、コースから出て街中に行けば1ドル程度で入手できるからこれを比較するならば割安と言える。(一応「コース内への飲食物持込み禁止」と書かれてあるが別段のチェックはない。)


レース結果については今更ここに述べることもないだろう。ポールのダリオが飛び出して行って、徐々にアレックスに差をつけていく。アレックスがふんばって差をつめたところでフルコースコーション。そのピットストップの間に逆転されて後はそのままアレックスの勝利。

レースの模様は実況放送が知らせているがこれは早口で全然理解できないし、コース総てが見渡せる訳ではないので情報不足になりがちだが、重要なシーンは観客席前方のテレビで見ることができる。そして、テレビには決して映ることのない、ポール・トレーシーがマイケル・アンドレッティーに嫌がらせをしているシーンをちゃんと目撃したのも面白かった。(後日、日本でテレビを見て知ったのだが海岸線シケインでまたぶつかっていたんだな、奴等は。)

いろいろあったもののアレックスが無事にゴールイン。得意のドーナッツ作りに励む。海岸線のシケインで、最終コーナーで再度のサービス。第1ターンで待つ我々にもサービスを、もう1周走れ、とばかり全員で歓声をあげていたのだがそのままピットへ。素晴らしきインディーの終末を迎える。


興奮さめやらぬまま奥さんと歩くサーファーズの町。コースから一歩出ると、そこは今までの喧騒が嘘のようないつもの街。白子まで歩く連中の列もなければバス待ちの行列もない。ただいつもの街があるだけ。もちろん渋滞もない。私たちがコンドミニアムに帰り着いた時には「あの興奮は何だったのだろう。」と、夢のように感じてしまった。


1998年10月18日(日曜日)夜

レースが終ったのが4時。それから歩いてコンドミニアムに帰って来て、夕食を食べ終わるともうそこには普段の生活があった。「退屈だからどっかにコーヒーでも飲みに行こうよ。」という奥さんの言葉につられてドライブに出掛ける。どうせのことならコースを見に行こう、ということになったのだが、コースの一部は既に公道に戻っていて自由に走行することができる。つい「限界の走りを見せてやる。」と叫びながら走るも、そのタイトなコーナーには驚かされるばかり。スタートして最初のシケインなどはもう一旦停止の世界、どうやってこのコーナーをあんな速度で走り抜けるのだろう、と我彼の腕の違いを見せつけられる思いだった。どうやらこうやってコースを走ろうと思ったのは私だけではないらしく、ドリフトしながら駆け抜けていく奴もいる。コースサイドでは徹夜で観客席を片づけている人たちもいて、夢が去ってしまったことを暗黙の内に私たちに伝えてくれる。


1998年10月20日(火曜日)朝

楽しかった、嬉しかった、凄かった、と賞賛の言葉ばかりの週末だったが、終ってみると短い週末でもあった。帰りの飛行機の中、シャンパンなぞ飲みながら追憶に浸っていると隣では奥さんが寝ている。きっとケアンズの免税店で何を購入するかを考えているのだろう。


結局のところ、インディー・サーファーズ観戦を取り巻く環境は、かなり優秀であると言って良いだろう。チケット入手、アコモデーション確保、アコモデーションからコースまでの交通手段、食事、トイレ等々、あらゆる要素において合格点をつけることができる。費用のことに関しても、確かに日本―オーストラリア間の航空運賃は安いものではないが、宿泊費用、コースまでの交通費用、食事代等が廉価であることを勘案すると相対的にコスト/パフォーマンスは高いと言えるだろう。

新聞によれば日曜日の観戦者数は95,000人だったそうだ。鈴鹿が16万人であることを考えると、その6割程度の人数しかいない訳であるし、街中にコースが存在するが故にあらゆる要素が良い方向に向かっていくのである。エスケープゾーンが完備されて路面もきちんとしたサーキットでの戦いも興味深いが、観戦する側に立って考える時、このようなストリートサーキットも存在価値が高いのではないかと考えた次第である。


なお、このコラムの文責は総て私にあります。ご指摘・ご意見は下記にお願いします。

kevin@nbunka.ac.jp


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